きょうは阪神淡路大震災から20年の節目であり、大学入試センター試験の日です。

 僕がセンター試験を受けたのは22年前と21年前の2回です。
 現役の時は英語の途中でマークの位置がずれていたのに気づいて、顔面蒼白になった苦い思い出があります。
 浪人の時は、数学の微分積分の問題でつまづきそうになりました。確か面積を求める問題だったと思いますが、どこかで計算を間違ってマークに当てはまる回答を導き出せません。残り時間も少なくなってふと「微分積分は4分の27」という数字を思い出しました。
 それまでいろんな数学の模試を受けていて、微積の問題の解答にやたら「4分の27」が多かったので、「迷ったら4分の27だね」と冗談で話していたことを思い出したのです。一か八かその数字を当てはめてみると、残りの回答もそれにつじつまの合う数字が出てきます。翌日、新聞で自己採点してみたら「4分の27」で見事正解。そのほかの問題も正解で、数学Ⅱの試験は高校、浪人を通じて唯一の百点満点となりました!(もっとも進学したのは私学の同志社なのでセンターはあまり関わりがありませんでしたが…)

 20年前の1月17日、僕は宇治市の下宿にいました。朝方、下から突き上げるような衝撃に思わず飛び起きました。特に大きな被害はなく、これだけ大きな揺れならもしかすると大きな被害の出たところもあるのではと心配しながらもう一眠りして、朝のニュースをつけると、神戸のあたりが大変なことになっていました。その日は関西の公共交通機関がマヒしてしまったため大学は休校でした。
 4月になって所属していた合唱団の新歓で被災した新入生が自らうちに入りたいと言ってきました。特に合掌経験者ではないのですが、「忙しいサークルに入っていれば、生活費を稼ぐためのバイトをしなくていいから」というのがその理由でした。結局その人に会ったのはその時の一度きりでしたが、被災者の生の声を聴いた強烈な印象が残っています。
 あまりに強烈な喪失体験があると、人は意味もなく笑ってしまうのだという。「うちはおじいちゃんが亡くなった」「近所の〇〇さんが死んだ」…身近な人の「死」という重大事さえ、まるで世間話のように笑って話さなければ精神の平衡が保てないという極限状態。震災の悲惨さをまざまざと思い知らされた出来事でした。

 20年という年月は、相当な長さのように思えますが、こうして振り返ると、案外きのうのことのように鮮やかに覚えているのが不思議です。おそらく30歳の時に20年前を振り返っても、うろ覚えで相当昔のように感じたと思います。同じ20年という時間の長さでも、人によっても感じ方は違うし、その人自身でも感じ方は千差万別です。
 あと20年後に僕は還暦。願わくば「良い人生を生きていた」と振り返られるような日々を積み重ねていたいものです。
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