2014.02.05
【きのうの業務】
・事務作業
・創蝶セミナー
・中学新人バスケ取材
・京セラ会見取材
・十三会連絡
・原稿


140204京セラ会見01_035
 京セラ陸上部が、また国分に戻ってくるということで、記者会見がありました。鹿児島の陸上界にとっては喜ばしいことなのは間違いないし、選手としても世界を舞台に活躍した佐藤夫妻が二人三脚で「鹿児島から世界を目指す」と意気込んでいたのも素晴らしいことだと思います。
 でも僕は素直に喜べません。思い返せば奇しくもちょうど14年前の今頃、京セラ陸上部は国分を撤退し、本社のある京都に移転しました。その時、僕が何を感じたか。拙著「地域スポーツに夢をのせて」の「はじめに」を引用します。

 京セラは鹿児島の長距離界の中核を担う存在だった。実業団チームとして実績のあった京セラが地元にあったことで、中高生ランナーも刺激を受けてレベルアップした。都道府県駅伝の優勝も京セラの協力抜きには考えられないものだった。
 その京セラが鹿児島から去っていくということは、鹿児島の長距離界が土台から揺らぐことになる。しかも、同社がその決定を我々メディアに知らせるために送ってきたのは、広報課からのファクス1枚のみ。近年業績不振だから女子のみ京都本社直轄体制に移して強化を図ること、優秀な選手を集めるためには国分よりも京都の方が都合がいいこと、などが撤退の理由として書かれてあった。
 全国優勝の喜びから、一転して奈落の底に落とされたような気になった。スポーツの仕事をしていて初めて「義憤」にかられた出来事だったと言っていい。(中略)企業の都合に振りまわされるスポーツの悲哀に同情した。同時に「企業スポーツの限界」という日本のスポーツ界が持つ構造的な問題を直視せざるを得なくなった。


 文中にある「全国優勝の喜び」というのは、その直前の2000年1月にあった全国都道府県男子駅伝で鹿児島が初優勝を果たしたことを指しています。鹿児島の陸上界にとって京セラの撤退はは衝撃的な出来事だったし、その後3月には短距離の実業団チームとしても活動していた城山観光もなくなったことで、鹿児島は長短距離両方の「核」を失いました。その後の都道府県駅伝では男女とも10位台前後をキープするのが精一杯です。ここ毎年、特に女子のチームは「中高生主体の若いチーム」とまるで美談のように新聞などでは紹介されますが、要するに大学生か、「ふるさと選手」で走ってくれる選手を探すしかなく、中高生頼みのチームにならざるを得ないことを物語っています。
 繰り返して言うように、また国分に戻ってくるということは、6年後に国体を控える鹿児島にとって、トップとなる選手の受け皿となる実業団チームができることは喜ばしいことです。でもあのとき鹿児島より京都の方が何かと都合がいいからといって出ていって、「京都ではうまくいかなかったからまた鹿児島で」というのは、釈然としないものを感じます。
 きょうの記者会見で僕は、その時のことも踏まえて、今後のことをどう考えるか問いただしたところ、陸上部長さんは「不退転の決意でやる」と話していました。察するに仮に成績不振だったとしても、またどこかに拠点を移すということはないでしょう。ただ考えられるのは、成績が振るわなければ陸上部の廃部もあるかもしれませんね。
 そのぐらいの厳しい覚悟でやることは、選手・スタッフにとっては必ずしも悪い話ばかりではないでしょうが、「企業スポーツの限界」という構造的な問題は何も解決していません。00年あたりを境にして、選手も、企業も、そして地域も、そこにスポーツチームがあることでみんなが幸せになるという方向に、日本のスポーツ界全体も舵を切ったと僕は思っています。会見で佐藤夫妻は「人として一流を目指す」「心のあり方が大事」と何度も語っていました。ならば鹿児島から世界を目指すのは大いに結構なことですが、その前に、本当に地域の人たちから愛され、支えられ、密着したスポーツとはどういうものなのかを示してくれることを、僕は「新生・京セラ女子陸上部」には期待しています。

 会見に参加しながら、ある意味僕自身は感慨深いものがありました。14年前、25歳の頃、鹿児島新報でまだスポーツ記者3年目の駆け出しが、スポーツに関する取材をしていて初めて義憤を感じた出来事でした。あの時、怒りにまかせて京セラ批判を書いていた僕に、当時の上司がくれたアドバイスが忘れられません。
 「批判するばかりじゃなく、どうしたら問題が解消されるのかという記事を書いてみたら」
 そのおかげで、新報がなくなって「地域密着のスポーツ記者」になる道を志したと言っても過言ではありません。今回のニュースに関してある鹿児島の陸協関係者は「京セラも原点に戻ってやり直そうというのだろう」と話していました。僕にとってもこの出来事はスポーツ記者としての「原点」です。14年目の原点回帰したもの同士として、今後の京セラ陸上部の活動を見守っていこうと思います。


【本日の業務】
・事務作業
・原稿
・フラワーコンテスト取材
・SCC


 菜の花が終わってからSCCの練習は、動きづくりの前のサーキットが復活しました。腹筋、背筋、スタビライゼーションなど5-10種類ぐらいのメニューを15―20秒、間を同じ秒数のジョッグでつないでひたすら動き続けます。全身を使い切るので、息がものすごく上がります。狙いとしては最初に心拍数を上げておくことで、距離を踏まなくても20、30キロ走ったのと同じ効果があるということです。
 そこから動きづくりをやってメーンメニューに移るわけですが、練習の冒頭でかなり消耗してしまうので、息を整えるのに時間がかかります。きょうは4000m×3のビルドアップという最もきつい部類の練習でした。最初を遅めに1キロ4分20秒から始めて、4分10秒、4分と上げていく。1回目、2回目のビルドアップまでがうまくいき、3本目も2000mまでは走れましたが、そこでストップしてしまいました。終盤になると腰が落ち、エネルギーが底をついた感じになってしまいました。仕方がないので少し息を整えてから残り10分ぐらいは軽いジョッグですませました。
 締めくくりは補強。きょうは観客席の芝生の傾斜を使って、アニマルウオーク。これまた最初のサーキット並みにきついメニューです。すべてきっちりやり切ると、終わった後の疲労感がハンパなかったです。

 帰りに会員さんと雑談しましたが、これをきっちりやりきると、もはや「気軽に楽しくジョギングを楽しむ」世界を超えて、「大人がやる中高生の部活」レベルのことはやっているような気がします。もちろん、メニューを全員に「強制」しているわけでなく、無理せず自分のついてこれる範囲でやればいいわけですが、面白いもので最初は不安がっていた人たちも、慣れてくると当たり前のようについてくるようになります。
 考えてみれば4、50代の普通に生活している会社員や、主婦が必死に腹筋、背筋に取り組む姿が当たり前の光景になっているのは面白いものです。SCCに長距離部門ができて12年、今ではこの中から別府大分でサブスリーを達成したり、序盤で膝を故障したといいながら3時間9分台で走った「つわもの」も出てきています。もちろん、大半は自分のできる範囲でランニングライフを楽しんでいる人たちです。生活に、人生に密着したスポーツライフ。SCCが掲げた理念は確かに「かたち」なっているのかなと実感しました。
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