2013.08.07 あれから20年
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 20年前の8月6日の思い出をつれづれ書いてみます。

 あの頃、僕は甲突川の畔にある予備校に通っていました。夕方4時ごろまで授業だったか、補講だったか、自習だったかを済ませて、いつもは自転車で通っていたところをバスで帰りました。その時は「よく降る雨だなぁ」とは思っても、それがあのような災害を引き起こすとは夢にも思っていませんでした。

 帰宅してテレビのニュースを見ていると、全国的には自民党政権が倒れて細川連立政権が誕生した歴史的な政権交代の日でしたが、鹿児島市民にとってはそれどころではありません。甲突川が氾濫し、市街地が大変になっていることや、土砂崩れで多数の死者も出ていること、五大石橋のうち武之橋と新上橋が流されたことなどが刻々と報じられました。

 今と同じ城山の自宅は、幸い電気も水道も通常通り使えて、何の不自由もありませんでしたが、当時高校2年生だった弟と連絡がとれず、不安な一夜を過ごしました。我が家は何ともありませんでしたが、武之橋の近くにある新屋敷の本家がどうなっているか、母方の祖父母が住む上竜尾の家は裏が山だけど大丈夫か、そんなことを心配していた記憶があります。
 夜の7、8時ごろだったでしょうか。数百メートル下まで試しに下りてみたら、城西公民館の辺りまで水に浸かっていて愕然となりました。

 連絡がつかなかった弟は、その頃、高校の文化祭のバンド練習で甲突川近くのスタジオにいました。川が溢れ、橋を渡ることができず、やむなく学校へ避難しようとしましたが、増水に巻き込まれ身動きが取れず、近くの家の門柱にしがみついていたそうです。命の危険を感じたのは後にも先にも「あの時が初めてだった」と彼は語っていました。
 幸い、その家の方が家に入れてくれて、家財道具を2階に運ぶのを手伝ったそうです。雨が落ち着いてから、学校へ避難し、剣道部の道場で一夜を過ごしました。

 翌朝、前日とは打って変わった晴天が広がりましたが、災害の爪痕の詳細が明らかになるにつれて、未曽有の大災害に見舞われたショックがひしひしと押し寄せました。
 僕は弟に着替えを届けようと、走って学校まで行きました。泥まみれになった家財道具や上流から流れてきたもので雑然としており、何とも表現できない異臭が漂う街の光景は今でも忘れられません。

 幸い、我が家の家族に被害はなく、新屋敷の実家も池の鯉が行方不明になった以外は浸水することもなくてすみました。上竜尾も無事でした。その頃から営業しているカラオケボックスには、1階で営業していたレンタルビデオ店や、焼き肉店、本屋の店員が避難してきたそうです。冠水し商売道具としては使い物にならなくなったけど、まだ聴けるCDを何枚かレンタルビデオ店から貰い受けたことを覚えています。

 あれから20年…きのうは甲突川のランニングクラブの練習に行く前に、ふと思い立ってあの頃通っていた予備校の辺りを歩いてみました。景色は一見あの頃とそう大きく変わっているようには見えませんが、石橋はなくなり、河川の改修工事が進み、よくよく目を凝らせば20年前と変わらずにあり続けているものは案外少ないように感じました。
 ランニング中、甲突川を眺めながら、20年前の思い出を語り合っている年配の人たちに出会いました。

 「8・6」に匹敵する時間当たり100mmの豪雨も今は各地で頻繁に発生し、気象異変の格好の象徴としてメディアで宣伝されています。これから先も、生き続けている限り、思わぬ災害に見舞われることは覚悟しておかなければいけないことでしょう。普段は忘れていること、目を背けたいことですが、いつどこでそんな目にあっても、対処できるよう最低限の「心の備え」をしておくこと。節目の時が教えてくれる大切な教訓をかみしめた一日でした。
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