2013.01.11 ラベリング
【本日の業務】
・事務作業
・電話取材
・漁業発表会取材
・原稿
・SCC


 今朝の南日本新聞の「南風録」に非常に憤りを覚えました。いかにも訳知り顔のマスコミが書きそうな上から目線のコラムです。

 僕も日ごろから、スポーツ現場で仕事をしているから、この問題は決して他人事ではありません。甘い理想論と言われるかもしれませんが、もっと冷静になって見守ることはできないのかと訴えたい気持ちです。

 「体罰と熱心な指導の線引きが難しい」

 今朝の「トクダネ」で小倉キャスターも言ってましたが、結局、マスコミがやるのは、すべてを「体罰」と安易に「ラベリング」することです。
 これが契機になって、県内でも「体罰」に関する調査が行われ、「断片的な実態」が、しばらくの間世間をにぎわすことになるのでしょう。間違いなく、これから数カ月で、どこかの部活で顧問による「体罰事件があった」と社会面に載ることが増えてくるでしょう。指導の現場は委縮し、「なさざるにしくはなし」の風潮が広まる。時が経ったらいつの間にか忘れられ、忘れたころにまた同じような悲劇が繰り返される…そんなことが頭によぎります。
 そうならないために、何をすべきか? この問題を自分なりに考えてみようと思いました。

 バスケット3人、陸上2人、ラグビー1人、野球1人の7人の指導者の方にお話を聞きました。陸上の1人とラグビーの1人は、大御所と呼ばれるぐらいの年代の方ですが、あとは皆さん問題となった大阪の指導者とほぼ同世代の30-50代の先生方です。

 何を聴きたいのか、僕自身も今一つ確信も持てないまま、雑談のような感覚で話をしました。いろんなニュアンスの違いはありましたが、皆さんが一様に「他人事ではない」と危機感を持って話してくださいました。
 このことを、巷で報道されているような表面的な現象だけで、あれこれ語られてしまうことへの憤りを皆さん持っていたように思います。少なくとも、この指導者が単に自分の虫の居所が悪いといった単純な理由で30発も、40発も殴ったわけではない。そこにはそうしてでも伝えたい何かのメッセージがあったはず。手が出てしまうような指導は、競技や程度の違いはあれ、どの現場でもあること。通常はそれをフォローする第3者なり、仲介者がいて円滑に回っていたのに、この現場では実際どうだったのか? 教え育てることと、周囲から結果を求められることのプレッシャーについて話した方もいました。若い頃は手を出す指導もしていたけれども、それは結局自分の指導力のなさを「暴力」というかたちでしか示せなかったことを反省していた方も多かったです。いろんな考え方や思いはありますが、南風録がいう「おざなりな対応が悲劇を招いた」ような単純な問題では、決してないことだけは確かです。

 いろいろ聴いて回って僕が感じたのは2つです。
 1つは南風録にあるように、伏見工の山口先生の話がかつては「美談」として扱われていたことが、今や「体罰」とラベリングされ、「根絶を目指すべきもの」と180度変わってしまった原因や時代背景はいったいどこにあるのかを考えること。
 もう一つは、17歳の若者の尊い命が失われたことの重みを受け止めて、このような悲劇を繰り返さず、学校指導の現場、指導者と選手のあり方などについて、建設的な提言をすること。きょうは「指導者」の話だけでしたが、「親」や「選手」の意見も聞いてみたいところです。
 心が重くなる、できれば避けて通りたい話ですが、「スポーツ」をライフワークにしている以上、避けては通れない道だと考えています。
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