【本日の業務】
・・・・・・・


 この3日間は、平昌五輪の熱気も、毎週末結果報告を書いているレブナイズのことも、その他鹿児島のスポーツのことも、圏外にあって、亡き祖母との思い出をたどりながら、これまでの自分の人生や家族と向き合った時間を過ごしました。

 23日の仮通夜、24日の通夜、25日の告別式、火葬場、引き寄せて初七日法要…お坊さんの読経や講話を聴きながら静かに自らの心の内に問いかけたり、家族とこれまでの思い出を語り合ったり、日常生活から切り離された貴重な時間を過ごしていた気がします。

 通夜の席におばが新屋敷の家から持ってきた様々なアルバムが置いてあり、思い出話のきっかけになりました。祖母のことはもちろんですが、21年前の正月に亡くなって、このところ思い出すことも少なくなった祖父のことを振り返るきっかけにもなりました。

 奄美出身の祖父は師範学校を出て、一時期は奄美で教員をしていたこともあり、父・純輝(すみてる)の名前は祖父・須美夫(すみお)、祖母・昭子(てるこ)の子供だからと教え子がつけたという話を聞いたことがあります。その後は奄美で商店を経営したり、奄美が日本復帰する前後に沖縄に渡り、今でいうコミュニティー放送局のようなものを立ち上げたりしたといいます。沖縄が日本に復帰する前後に、鹿児島にやってきてカラオケ機器のリース業を立ち上げました。それが今の南日本音響です。「カラオケを鹿児島に持ち込んだのはじいちゃんだ」と祖母が自慢げに話していたことを覚えています。本当かどうか、確かめようがありませんが、いろんな商売を立ち上げる実業家としての才覚があったということなのでしょう。

 政の家族だけでなく、壽、渡、城崎…といった龍郷・大勝を出身とする人たちが、祖父と同じように奄美から沖縄に渡り、沖縄から鹿児島にやってきて互いに助け合いながら生業を立てていました。大勝共栄会という郷友会組織が市内にあり、かつては運動会や八月踊りなどのイベントが定期的にあり、幼い頃、私も参加して楽しんだことを覚えています。祖父母は3男、2女の5人の子供を育てました。父や、叔父叔母の話を聞くと、壽、渡、城崎の家は近所で、お互いが兄弟姉妹であり、お互いが親であるかのような近しい関係だったといいます。「すみおじちゃん、てるおばちゃんには本当にお世話になりました」といって奄美や広島からわざわざ駆けつけてくださった方がいました。核家族化が進んだ現在では想像もつきませんが、奄美出身者同士の絆の強さがうかがわれます。

 「七つの習慣」の第2の習慣「目的をもって始める」の冒頭には、自分の葬儀のシーンを想像し、どんな人に来てもらって、どんなことを言ってもらいたいかを考える場面がでてきます。「人生の最後の姿を描き、それを念頭に置いて今日という一日を始める」と書いてあります。その人の人生が何であったかを評価するのは自分ではなく、そこに集まって想いを寄せてくれる人たちです。この3日間にあの場に集まった人たちの姿、言葉を聞いていて祖母や、そして祖父が本当に多くの人を愛し、愛されていたことを感じることができました。

 もう生きている祖母に会えない惜別の想いはありますが、祖父母に習って、これからを生きていく人たちのために尽くす人生を私たちは作っていくと誓う日になりました。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://jtsukasa.blog.fc2.com/tb.php/1719-09601214