【本日の業務】
・家族のサポート
・就職会議取材、原稿
・県庁奄美会懇親会


160426内定率_035
 今年3月に県内の高校を卒業した高校生の就職内定率が発表されました。99.4%。望み通りの職場に就けるかどうかは別にして、働こうと思えば働ける場はそれなりにあることを示しています。
 十三会でも一度話題になったことがありましたが、県内の中小企業にとっては人材の確保が年々厳しくなっているようです。
 内定率の向上は喜ばしいことですが、一方で離職率の高さも会議で問題に挙げられていました。就職して3年以内に離職する人は全国で約40%、県内だと47、8%になるそうです。就職しても半数近くが、3年以内で辞めてしまうというのはどうしたことでしょう。
 大学卒で就職した僕の感覚では、この先の一生の方向性を18歳の時点で決めてしまうことが酷な気もするし、終身雇用制が崩れた現在、見方を変えれば転職が比較的容易になったとも考えられるわけで、必ずしも悪いことばかりではないと思います。

 ふと19年前、大学4年で就職活動をしたことを思い出しました。報道記者になりたいと思って、新聞、テレビを中心に試験を受け続けましたが、大学になって机に座って試験勉強をすることに拒否反応を示すようになったのが響いて筆記試験で落ちることが多く、苦戦続きでした。その中でも関西の準キー局1社、地元放送局1社で最終までこぎつけました。どちらかといえば新聞が本業だと思っていましたが、成績が良いのは放送局の方でした。それでも結果はどちらも最終選考で落ちました。地元の方はそれなりに手ごたえがあっただけに落ちたショックも大きかったです。
 夏までに決まらなかったので、その年の就職はあきらめて翌年再チャレンジしようと、後期は京都駅の伊勢丹でアルバイトをしながら学費・生活費をためることに専念していました。年末に帰省した際、たまたま立ち寄った城西公民館で鹿児島新報の記者採用の記事を見つけ、受験しました。鹿児島新報がどの程度の会社であるかは想像に難くなかったですが、受かるかどうか分からない就職試験を受けるよりは報道の現場に出て腕を磨き、他社に移籍する方がプラスになることが多いと考えました。
 募集5人に対して受験者2人。これまで報道関係は何百人、何千人単位で受けて若干名しか受からない狭き門ばかりでしたが、初めて募集人数よりも受験者の方が少ないことに驚いたのを今でも覚えています。無事、合格。その後ちゃんと卒業できるか微妙なこともありましたが、無事卒業もでき、紆余曲折がありながら98年4月から新聞記者として働くことができました。

 あれから18年。新報にいたのは6年間、その後は「スポかごNEWS」を舞台に、フリーの記者となり、10年からは奄美新聞の仕事が加わりと、いろいろと発表の舞台は様変わりしつつも記者の仕事を続けています。今までは自分の書くものをどこかに取り上げてもらうことを考えていました。これからもそれは続きますが、今後は自分も「雇う側」になることを考える段階にステップアップしなければなりません。そんなことを思いながら、就職に関する会議を取材していると、これまで「雇われる側」からしか見てなかったことが「雇う側」の視点も考えるようになって、新たな境地を開拓したような気になりました。
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