FC2ブログ
2019.03.20
【本日の業務】
・・・・・・・・
スポンサーサイト
【本日の業務】
・手帳、帳簿、日記
・朝のルーティーン
・メルマガ発行
・家族のサポート
・資料受け取り
・鹿児島U取材、原稿
・会報誌校正作業


 通常の鹿児島Uの練習取材に加えて、教職員異動の資料受け取り、野球部後援会報誌の校正作業と3つの活動の同時進行が必要だった一日でした。

 その日のスケジュールを確認しながら、これらをスムーズに効率よくこなすにはどうするか、一日の行動をイメージして手帳に書きました。当初は午前中に健康の森にいって終わってから県庁に行って資料を受け取るつもりでしたが、詳細に予定を確認すると、資料受け取り可能が午前10時以降で、鹿児島Uのトレーニングマッチ開始が10時半となっています。これは先に県庁の方が後のスケジュールに余裕ができると判断しました。会報誌の校正は元々の予定にはなかったですが、おそらく連絡があるだろうと予想した通りに印刷会社から連絡が朝イチであったので、午後2時に約束しました。

 9時20分に家を出て、県庁で資料を受け取り、健康の森へ。試合開始には少し遅れましたが、問題なく観戦でき、試合後に予定していた監督、選手のインタビューもスムーズにできました。一旦帰宅して、教職員異動データを奄美新聞にメール。食事をすませてから、校正作業の約束時間前にユナイテッドカフェに寄って頼まれていた日曜日のホームゲームのチケットを受け取りました。予定通り2時から約30分で校正の打ち合わせ完了。途中妻から息子が下痢気味で早く迎えに行って欲しいという予定外の依頼がありましたが、場所的にもすぐ行けるところにいたのでこちらも問題なくこなしました。

 夕方5時から妻が美容院に行くので子供たちの世話を頼みたいというので、早めに原稿を仕上げ、夕方から2時間半ほどひたすら子供たちと一緒に遊ぶ時間でした。1つだけ予定に入れていたタスクをこなせませんでしたが、動線も含めて非常にスムーズにやるべきことをこなせたので気持ち良く眠りにつくことができました。あすも午後から宮崎へ日帰り出張取材が入っています。あさってからは春の高校野球が始まり、ますますその日にやるべきことが増える期間になります。しっかりとたどり着くゴールをイメージして、自分をコントロールし有効な時間活用の習慣を身に着ける絶好の機会です。
2019.03.18 親子2代で
【本日の業務】
・手帳、帳簿、日記
・朝のルーティーン
・スポかごNEWS、メルマガ発行
・家族のサポート
・オルタナ
・十三会事務作業
・DAZN観戦


 週1回、近所にある整骨院・オルタナにいって身体を診てもらうのがかれこれ10年以上続いている習慣になっています。

 04年、まだ鹿児島新報にいた頃、JCが企画したスポーツ関連イベントの運営委員会でたまたまオルタナを経営する会社のF社長と知り合いになりました。ちょうどその頃、野球の練習か何かで腰を痛めていたのを相談したら、整骨院が家の近所にあるのを知り、通うようになりました。ここで目から鱗だったのは、私の腰痛の原因が骨盤が前に傾いていることから、背筋に緊張がくることに原因していると指摘されたことです。

 それまでも何度かきつい腰痛になることがあって、知人に紹介してもらった整体に通ったことはありました。いろいろと処置をして痛みが引けば治療完了。それでOKと思い込んでいましたが、そもそもの根本原因を改善しない限り、抜本的な解決にならないというのを初めて教わったのがオルタナでした。以来、マラソンや野球をずっと続けていることもあって、定期的に通って身体のメンテナンスをお願いしています。「治してもらう」だけでなく、パフォーマンス向上のためのエクササイズやケアに対する意識を学ぶ場として重宝しています。

 最近はうちの父親も通うようになりました。きょうは偶然、ほぼ同じ時間帯で隣同士のベッドで並んで治療を受けていました。どちらも担当したのがF社長の息子さんのJ君。オルタナを知った頃、まだ小学生だったJ君が大人になり、私と父と親子2代でお世話になっている。何となく感慨深いものがありました(笑)。
【本日の業務】
・手帳、帳簿、日記
・朝のルーティーン
・スポかごNEWS、メルマガ発行
・読書
・レブナイズ取材、原稿
・鹿児島U原稿
・家族のサポート


 京都での宿泊は四条烏丸のカプセルホテルのようなところでした。朝は周辺を30分ほどジョギング。日中は京都の経済、観光の中心地で人がごった返している場所ですが、早朝の人通りが少ない時間帯に、短い時間でしたが思い出をたどりながら軽く汗をかきました。

 先斗町通りにはアルバイトをしていた喫茶店があります。残念ながら「喫茶こみちは閉店しました」との看板。経営していたお茶屋の女将さんは「ザ・京都人」の見本のような方でした。今でもお元気だろうかと思いながらも、確かめることはできませんでした。三条まで北上し、鴨川沿いを再び四条通まで。走りやすそうな場所なので何人かジョギングをしている人に出会いました。木屋町や三条付近は飲み屋街で、学生時代は飲んでバカ騒ぎをして醜態をさらした場所です。「鴨川等間隔の法則」といってカップルがなぜか等間隔に並んで座る場所ですが、さすがに早朝は姿を見ませんでした。

 一つだけ行ってみたかったのが、大学2年の1年弱住んだ四条室町のアパートです。ビルとビルの合間の日の差さない暗い場所で四畳半の狭い部屋でした。あまり良い思い出は残っていませんが、祇園祭の頃になるとお囃子の練習する音がよく聞こえて京都らしい雰囲気が味わえたことぐらいでしょうか。中途半端に古い建物だったのでもう残っていないかもと思っていましたが、意外にも「四条ハイツ」は存在していました。ただ人の住むアパートではなく、おそらく持ち主の会社の社屋か倉庫のように改装されていました。私の住んでいた102号室はぶち抜かれて車が停まっていました。お風呂がなかったので通っていたすぐそばの銭湯や度々食事をしていた吉野家はなくなっていましたが、そこだけが残っていたことに懐かしさを覚えました。

 時間に余裕を持って空港に向かったはずでしたが、出発ギリギリでした。急いで戻ってレブナイズのRS最終戦の取材。観戦できなかった土曜日は苦しみながら良い試合だったというので期待していましたが、RS未勝利の相手に良いところなく完敗。何のために急いで戻ったのかと腹立たしくなるような試合でした。FS、RSと今季も3分の2が終了したにも関わらず、未だにプロの自覚や気持ちといった部分の甘さが出るところに歯がゆさを感じました。
【きのうの業務】
・手帳、帳簿、日記
・朝のルーティーン
・京都旅行


54255194_1326153667532569_4355208481523892224_n.jpg
 学生時代を過ごした京都に5年ぶりに足を運びました。目的はただ一つ。大学のゼミの恩師・浅野健一教授の最終講義を受けるためです。

 同志社の今出川キャンパスに足を運んだのは、ちょうど5年前の今頃、大島のセンバツ出場の甲子園出場で関西にしばらく滞在した際、対戦相手の龍谷大平安の練習を取材した帰りに立ち寄った以来でした。あの時はキャンパスを少し歩いただけでしたが、今回は良心館という僕らが学生時代にはなかった新しい講義棟に入り、4時間以上に及んだ講義を聞きました。

 京都に足を踏み入れてから、20数年前の学生時代の記憶が走馬灯のように蘇りました。入学したのが1994年、25年前のことです。ちょうど平安建都1200年で沸いていた年でした。鹿児島は昨年が明治維新150年でしたが、京都には1200年以上、日本の中心としての歴史の積み重ねがある。そんなことを体感したくて京都の大学に進学したことを思い出しました。社会人になって20年はスポーツから切り離せない毎日を気づいたら送っていますが、学生時代の4年間はスポーツとはほぼ縁がなかったです。浅野ゼミでジャーナリズムについて学び、同志社学生混声合唱団のメンバーとして宗教音楽を歌っていた4年間でした。

 浅野教授が共同通信から大学教授に転身した年に、私たちも入学しました。入学した94年に松本サリン事件があり、翌95年には阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件と世の中を震撼させる出来事がありました。97年には神戸で連続児童殺傷事件という痛ましい事件もありました。90年代中盤から後半、世紀末に向かって日本社会にあったこれまでの価値観が大きく揺らぐような時代に学生時代を過ごしました。浅野ゼミでは現場で働く様々なジャーナリストの方々だけでなく、松本サリン事件で第1通報者でありながら被疑者扱いされた河野義行さんや甲山事件の山田悦子さんといった「報道被害者」の方々にお会いすることもありました。

 浅野ゼミで学んでいなければ、ジャーナリストの仕事とはテレビのありきたりなミステリードラマに出てくる事件記者のように、犯罪者を告発して正義の味方になることだと勘違いしたかもしれません。社会を冷静な目で見つめ、自ら現場に足を運び、市民の声を聴き、民主的な社会をより良くしていくために必要な情報を世に問うことがジャーナリストの責務であると学びました。現実社会に訳知り顔で妥協するのではなく、掲げた理想に一歩でも半歩でも近づくために、人と人とが協力して行動していくことの大事さを教わりました。

 講義の最後でミュージシャン・中川五郎さんのミニライブがありました。

 「大きな世界を変えるのも、1人の小さな動きから」

 歌詞の文言が胸を揺さぶりました。私が浅野ゼミで学んだ精神もまさにこの言葉だったと思います。短い時間でしたが、自分が大人になる前の原点を思い出させてくれた貴重な時間でした。